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東海道名所図会

佐夜中山(さよのなかやま) 日坂(につさか)の東北の方なり、東海道筋荒井、舞坂より東に北お兼たり、故に東北とす、佐夜中山は、八雲御抄に、さやの中山とあり、宗祈の方角抄には、たヾ小夜(さよ)の山、西の麓お新坂(につさか)といふとぞ、宗久が都のつとといふ書に、さやの中山にもなりぬ、こヽおさよの中山、さやの中山といふ両説あり、中納言師長公、当国の任にて下り給ひける時、土民はさよの中山と申侍りけるとて、中古の先達などもさやうに読れて侍る、又源三位頼政は、さよの長山(ながやま)とぞ申ける、此たぴ老翁に尋ね侍りしかば、さやの中山と答侍りきと雲々、又或が雲、夜のこヽろお読ざるにはさやといふとかたりき、按るに、此山遠江国佐野(さや)郡也、さやとさよとは五音相通なり、此例まヽ多し、いにしへより名高き名所にて、勅撰に古詠多し、 〈古今〉東路のさやの中山なか〳〵に何しか人お思ひ初けん 紀友則 かひがねおさやかにもみしがけヽれなくよこほりふせるさやの中山〈◯下略〉