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古事記伝
十三
喪山(もやま)もさだかならず、或人の説に、藍見川は不破郡府中村の藍川是なり、喪山は其藍川の上に、送葬山(そうさうやま)と雲ある是なりと雲り、なほよく国人に尋ぬべし、〈松下氏が、今の僧都山なり、喪音お訛れるなりと雲るはいかヾ、但かの送葬山と僧都山と音近ければ、一の山にや、又万葉九に母山(おもやま)に霞たな引雲々とあるは、八雲御抄に、美濃とあるに付て、此喪山にやあらむと契冲雲り、此歌は、近江湖にて、舟より見放てよめるなれば、美濃は隣国なれど、なほ物遠く聞ゆ、又美濃国或人雲、武義郡大矢田村に、天王山と雲あり、これ喪山なりと雲り、又飛騨国に荒城郡荒城郷荒城神社もあり、上代には同国なりしが、後に隣国に、はなれるたぐひ多かれば、是らにも心おつくべし、又信濃の岐蘇のあたりも、古は美濃国なりしかば、彼のあたりにても尋ぬべし、〉