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和州巡覧記
上市 吉野河の北岸に在町也、飯貝のむかひにあり、船にて渡る、上市よりも大和の国なかにこゆる道ありて、山谷へ入、是は芋が嶺に行道也、右に行ば竜門の谷の内に入、此地の河辺の両傍に、河お済て妹背(いもせ)山とて両山有、飯貝の方にあるお脊(せ)山と雲、西也、古城の形見ゆる、竜門の方にあるお、妹(いも)山と雲、東也、是は茂(しげ)山なり、妹山脊山二ともに高からず、同じ大さなる山也、川おへだてヽ両山相むかへり、両山の間お吉野河流る、古今集の歌に、流ては妹脊の山の中に落る吉野の河のよしや世中、とよめり、妹脊山は名所なり、古歌多し、大伴首が詩有、然るに古歌に、吉野によめる歌も、紀伊によめる歌もあり、故に顕昭が袖中抄、大名寄等には、妹脊山は紀州にありと見えたり、吉野川の下にありと雲、然れ共紀州にあるは、川中にある島なり、脊山と雲、妹山といふべき山其あたりに見えず、日本紀孝徳帝紀にも、紀伊の兄(せの)山とかけり、是妹脊山にはあらず、古人名所の有所の国おとりちがへたる事おほし、吉野の妹脊山は、古今の歌によくかなへり、紀州の兄の山は、古今の歌にあはず、続後拾遺行家の歌に、ながれてもうき瀬なみせそ吉野なるいもせの山の中河の水、とよみ侍れば、此所にある妹脊山お是とすべし、是より外には、吉野川の末紀伊の湊までの間に、河おへだてヽ二ならべる山なし、妹脊山と称しがたし、此道は竜門の谷にて、伊勢へも紀州へも通る大道也、行人多し、竜門の谷長し、凡二十一村ありと雲、両山高くして谷迫れり、妹脊山より宮滝へ行道も有、河上なり、