[p.0750][p.0751]
玉勝間
十二
又妹背山 寛政十一年春、又紀の国に物しけるおり、妹背山の事、なほよくたづねむと思ひて、ゆくさには、きの川お船よりくだりけるお、しばし陸におりて、此山おこえ、かへるさにもこえて、くはしく尋ねける、そは紀の国の伊都の郡橋本の駅より四里ばかり西に背山村といふ有て、其村の山ぞ、すなはち背山なりける、いとしも高からぬ山にて、紀の川の北の辺に在て、南のかたの尾さきは、川の岸までせまれり、村は此山の東おもての腹にあり、大道は川岸のかの尾さきの、やヽ高きところお、村お北に見てこゆる、道のかたはらにもやどもある、それも背山村の民の屋也、此山までは伊都の郡なるお、その西は那賀郡にて、名手の駅にちかし、かくて花の雪の巻にも、既にいへるごとく、妹山といふ山はなし、此背の山の南のふもとの河中に、ほそく長き島ある、妹山とはそれおいふにやとも思へど、此島はたヾ岩のめぐりたてる中に、木の生しげりたるのみにて、いさヽかも山といふばかり高きところはなし、又此島お背の山なりといふもひがことなり、そは川の瀬にある故に、瀬の山とはいふと心得誤りて、背山村といふも、此島によれる名と思ひためれど、然にはあらず、万葉に、せの山おこゆとあれば、かの村の山なること明らけし、川中の島は、いかでかこゆることあらむ、さて又川の南にも、岸まで出たる山有て、背の山と相対ひたれば、これや妹山ならむともいふべけれど、其山は背の山よりやヽ高くて、山のさまも、背の山よりおヽしく見えて、妹山とはいふべくもあらず、そのうへ河のあなたにて、大道にあらず、こゆる山にあらざれば、妹の山せの山みえてといへるにも、かなはざるや、とにかくに妹山といへるは、たヾ背の山といふ名につきての詞のあやのみにて、いはゆる序枕詞のたぐひにぞ有ける、