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紀伊国名所図会
三編二伊都郡
妹妋(いもせ)山〈妹山は澀田村にあり、今長者屋敷といふ、妋山は背山村にあり、今鉢伏山といふ、紀川お隔てヽ相対せり、或説に、大和国に妹妋山ありといふ、甚誤なり、〉 両山の際大に迫りて、たヾ一条の流れお通ず、孝徳天皇詔して援お邦畿の南限と定給ふ、兄(せ)山は狭き山の義にして、地形より起れる名なるべきお、史に兄山と書るは仮字なるべし、むかしは此山背お越るお南海道とし、牟婁津明光浦などに行幸の時々も、これお越え給ふ、其比狭お妋の義にとりなして、是に対せる川南の山お妹山と称し、とり〴〵風詠せしによりて、妹妋山の名普く天下に聞えたり、いづれの世にかあらん、此わたりに雛子長者といへる富豪の者ありけり、妹山のかたちなだらかにして、風景よきお賞し、山上お平(な)らして玉楼お構へ、糸竹管絃の遊びおなしければ、いつとなく長者屋敷とよびなして、遂に妹山の名お失ひ、妋山もまた山足おきり開きて、今の官道とせしより、妹妋の姿大に移転れりとぞ、〈或雲、妹妋山といふ俳優に、雛鳥といふ姫、妹山に消遥せしことあり、こは長者の名、雛子といふに本づけるものならんとぞ、〉