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西遊雑記

巾振(ひれふる)山は、相伝ふ、松浦佐用姫夫宿禰狭手彦渡唐お悲み、此山に登り漕行く船おしたひて、終に石となりしといふ説お伝へて、今望夫石と号し、婦人の被して伏たる形の、凡四尺計もあらんと覚しき石あり、昔は谷底にありしお、小堂お建其中に入れて、今有る所に移しあり、旅人此石お見んと思ふ時は、麓の寺に〈寺号忘れ〉行て、開帳代として三十銅にても五拾銅にても出して、鍵おかりて戸お開き見也、中華にも望夫石の事跡有、夫お聞伝て、此所にも似像石の有しお幸として、像もなき説お伝へし者成べし、婦人の化して石となりしとは、あまり成異説お雲伝しものなり、