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古史伝
三十一神代
福慈の岳は、即富士の山なり、和名抄郡郷部に、富士浮志(ふじ)とあり、諸書に又不尽、布士、不自、富岻等、尚色々に書るは、福慈(ふくじ)の省言なり、抑福慈と書る字は、常陸風土記に所見(みえ)たるが、此は富久士(ほくじ)とも布久土(ふくじ)とも読べくおぼゆ、其は既に出たる氏の伊福部(いふくべ)お五百木部(いほきべ)とも称ひ、御吹玉(みふきたま)お御富伎玉(みほぎたま)とも雲お思に、此山の名はもと富久士(ほくじ)なりしお、布久士(ふくじ)と雲ひ、省て富士(ふじ)と雲りと通(きこゆ)ればなり、〈前には福は布の仮字にも用べき字なれば、福慈お乃ちふじと読べく思れど、後に熟思ば、こは必ずほくじと読べく書たるなり、玄道雲、或人も、富(ほ)は古事記に意富岐美(おほきみ)、又意富祁(おほけ)命、淤富美夜(おほみや)、又富良(ほら)富良等、皆保の仮字に用られたりと雲へりき、〉然らば富久士(ほくじ)とは、何なる意ならむと雲に、富(ほ)は穂(ほ)なり、久士(くじ)は彼高千穂之久士布流峯(くじふるたけ)の久士と同く奇(くし)の義にて、此山の卓て高く、天進(あまそヽり)て穂の如く奇霊(くしび)に立たる義なるべく、其郡名お富士と雲は、此山の立たる故の名なるべし、〈下に引く都良香朝臣の富士山記に、古老伝雲、山名富士取郡名也と有は、本末お違し説なり、(中略)玄道雲、(中略)取郡名とは、袖中抄神社考に引る縁起も同説なれど、皆彼記の謬お襲しなめり、さるお釈常庵集に、駿州富士之郷国也、置郡者七、富士其一也、蓋由山得名、猶会稽山之在会稽郡金華山之在金華郡耶と雲るは、師説に符ていと珍たし、〉