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丙辰紀行
富士山 富士山の名、ひとり我朝に鳴るのみならず、遠く中華まできこゆ、赤人が歌は万葉にのせ、都良香が記は文粋に見えたり、徐福、薬お尋ねてこの山にとヾまり、是お蓬萊山と名づくる事は、義楚が帖にあらはし、六月雪花飜素橋、何所深林覓白鷴、といへるは、宋濂が曲にあらずや、加之羽客釈流の此山に跡お残す事は、役処士がはじめて攀躋りしより以来、空海、円珍、岩石おきざみて仏軀お彫るもの、山上に多かり、白衣天女の形おあらはし、浅間大神の跡お垂まします、誠に我朝無双の名山なり、近代叢林の詩僧、この山お題せし中に、富士千仞雪崚崝幾度思登病未能、送女錫飛三伏裏、帰来分我一壺氷、といへるは信義堂なり、大地撮来無寸土、当空還見此山成、海闊才浸半辺影、多少漁舟載雪行、といへるは乾峯なり、絶頂雪残春夏秋、暮烟一抹画眉修、吾疑上有望夫石、不耐閑愁独白頭、といへるは岩惟肖なり、六月雲間積雪新、東遊未踏玉嶙峋画師今有移山力、一洗京塵困暑人、といへるは惺瑞岩也、富士峯宇宙間、崔嵬凱独冠東関、唯応白日青天好、雪裏看山不識山、といへるは彦希世なり、富士耳聞身未遊、画図相対与悠々、東関千里吟鞍上、晴雪趁人三五州、といへるは沅南江なり、五須弥外有須弥、呼作士峯吁是誰、六月雪飛寒徹骨、擘開芥子欲蔵之、といへるは沢天隠なり、莫言北闕隔東関、富士朝々如対顔、四海一家皆帝力、千秋白雪御前山、といへるは三横川なり、士峯秀出海之東、名在景濂詩句中、若把白鷴論白雪、扶桑六十一彫籠、といへるは九万里なり、天台四万八千丈、若在吾邦立下風、といへるは瑾之嶺なり、工拙は具眼の人の知る事なれば、書ならべて置き侍るなり、其外騒人墨客の詠じもらせるはあるまじきにや、此比人の作れるとて、青天忽見素羅笠担中、といふ句お聞きはんべるぞ珍らしきにや、我輩の今更口おひらかむ事は、人の涎お舐て事あたらしきやうなれど、さりとていはざらんも懶惰のおそれあれば、聊申つヾけ侍る、かの不与浮雲斉、といへるは此たかきにや、嵌空大始の雪とあるは此雪にや、衆山之山峛崺なるお知るは、此山に登りての事にや、天下おすこしきに歩する人もあるべきにや、蓮花は早く崆峒は薄しといへるも、此山に対しての事にや、 一山高出衆峯巓、炎裏雪氷雲上烟、大古若同仁者楽、蓬萊何必覓神仙、