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笈雉随筆

富士山 抑富士峯の秀麗たる、本朝に古今賞するのみにあらず、異国の史籍にも又詳也、謝肇制曰、莫高於娥眉、莫秀於天都、莫険於大華、莫大於終南、莫奇於金山、莫巧於武夷、其他雁行而已と、富士皆是お兼たり、実に三国第一山といはんに恥べからず、其神秀なる面向不背にして、児女といへども、其名おしり、見ずして其形お知るは此山のみ、西南駿州大宮口お表とし、東北は相州走口、北西は甲州吉田口、此三け所より登山す、甲駿豆相の四州に跨り、吉田口一の鳥居より頂上迄、直に登事三百五十七間と雲、峯は八葉の花形に効(なぞら)へ芙容峯といふ、祭神木花開耶姫(このはなさくやひめ)命、則浅間大権現と称す、梺の三所各々〈新宮あり、神職僧坊多し、〉社頭厳重也、役行者初て登山有しより、表口お大日とし、裏口お薬師とす、今登山のものには、浄衣の上に、牛王宝印お押て禅定の証とす、総じて山形関八州に望み、見るに異なる所なし、唯北面足長く、東北に八湖有、各廻り百余町、あたりに村里有て、湖中に舟お出して漁りす、又山中の一奇也、表口は道嶮にして、砂走よし、吉田砂走は上下道お異にす、先中宮といふに至る、広野三里也、駒留といふ、是迄は馬も往来す、是より上は木山弐里有り、夫より一合弐合として、合毎に石室おもふけて、風雨の防ぎ飲食の助とす、高さ六尺余方丈計り、中央に地炉掘て木お焚也、氷お外面に置て、其滴りお湯にして飲しむ、五合以上にては一天瑠璃の如く、星の光り手に取計りに見ゆ、正午時より上り、八合の上に至らざれば、あくる暁天の来迎といふお見難し、其八合九合目は嶮阻いふ計りなし、岩角にすがり行に、いかなる剛力のものも、呼吸喘ぎ胸押が如く、一息に三足とは進み難し、絶頂お望むに、頭上に覆ふが如し、援お胸突といふ、一足お過てば山下に転んで、再び顧る事なからんかし、扠来迎といふ事、或は小史に、唐土の娥眉山に仏現の事お証として、此山中の事跡も同じとせるは担板漢也、彼国にいふ処は、其見る人の影、日暈(かさ)の中に移る也、故に其人点頭(うなつけ)ば其仏も点頭といふ、いぶかし、日に向ふ人影の、後に移らずして、日暈の中に移るべき理なし、笑ふに堪たり、世に来迎といふも、仏出現とするは論に及ばず、其事実は附録に詳なれば援に不載、唯一お述て少き義お解す、先夜明なんとする前、東方の中奥に一筋の白雲、帯お引たる如く顕る、須臾にして地下より紅の日輪傘ばかりなるが、差上る事速也、此時彼白雲、青朱紅紫の粉雲と変じて舂き動く、既に地上一端計りも離ると見れば、光明閃々として再び目お向ひ難し、斯て四方お眺望するに、世界の山岳唯一面の平地の如く見下して、曾て山有とはしれず、西北の方に尖なる山一つ雲間にあり、山人にとへば信州駒け岳なるよしいへり、絶頂の八峯嵯峨と峙より中は、堅氷綴て余物お見ず、頓て八葉お下山す、草鞋三足お重ねて履、其身お真直に立ながら砂礫と倶にすべり下るに、一息の間断なく、僅に一時ならで本の中宮に帰り、此にて草鞋お脱すてヽ、新に履替て、御師の元に帰りぬ、〈◯下略〉