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泊泊筆話
一不二の高嶺は、わが国のしづめともいひつたへて、こと山にすぐれたる事は、いひ出でんも今さらなることなりや、此山およめる古歌、万葉集よりはじめて、世々の勅撰私集に入りたる名歌ども、あげてかぞへつくしがたし、いにしへは置きていはじ、ちかく水無瀬中納言殿〈氏成卿〉の富士百首といふものあり、世にしる人なし、近き比もとめえたるに、よき歌ども多し、その一二おいはヾ、 ふじのねやのどかにわたる春風もたヾ世のなかのあらしなるらん うつしえの筆かぎりある不二のねおかぎりもあらぬ雲井にぞ見るもろこしの人にとはヾやふじのねの外には山のありやなしやと かたるにもよむにも尽きぬ言の葉の不二の山としよにつもるらん 西の海やもろこしさして行く船のうへにもふじはいくかみるらん 山おぬく人にはありともふじのねお見ては及ばぬものとしるらん わすれてはそらにも雪のつもるかと見れば雲間にはるヽふじのね 積りしはきのふのもちに消えはてヽけさみなづきの不二のはつ雪 うつしえお見るごとなれやふじのたけまた見るごとに写絵もあり これらにならへる契冲阿闍梨の百首、長流隠士の三十首、いづれもめづらしく巧によみかなへられたり、県居翁の長歌、殊にたへにして、人麻呂赤人の長歌にも、おさ〳〵おとれりとはみえずぞあるあがたいの長歌の反歌に、 するがなるふじのたかねはいかづちの音する雲のうへにこそ見れ ふじのねのふもとおいでヽゆく雲は足柄山のみねにかヽれり また記行の中に いつのよのちりひぢよりかなりいでヽ不二ははちすの花と見ゆらん 三首ともに秀逸ときこゆる中に、あしがら山のうたは、五条三位のうたに、〈◯歌闕〉 とあるにむかへみるに、こヽろおなじくて、歌がらは県居の歌、たちまさりてこそおぼゆれ、又荷田東万侶大人の歌に、 きヽしよりも思ひしよりもみしよりものぼりて高き山はふじの根 又平高保が富士二百首といふものあり、契冲阿闍梨百首に、ならへるなるべし、其中の一二おいはヾふる雪にうづもれながらたかき名の四方にかくれぬ山はふじのね いづくよりむかふもおなじおもて〳〵空にそむかぬ山はふじのね ひさかたの空に月日おみすまるの玉とうながせるふじの山姫 天地のあしけき気おばしら雪のよけて世おふる山はふじのね 世の中の山てふ山おかさぬとも不尽のみたけにきそひあへんやは 枝直が歌に 天のはらてるひのちかき不尽のねに今も神代の雪はのこれり 芳宜園の歌に はこねぢや神のみさかおこえきてもなほふじのねは雲井なりけり などよきうたと、人もいひあへり、吾師の歌に、 こヽろあてに見し白雲はふもとにて思はぬ空にはるヽ不二のね 此うたさまでの秀逸ともおもはざりしに、いにし文化四年、おのれ伊豆の出湯あみがてら、熊坂の里なる竹村茂雄がもとへと、心ざして旅だてる頃、熱海の出湯おいでヽ、弦巻山の頂へかヽりしに、浮雲西の空にたちかさなりたりしかば、ともなへる人にむかひて、不二はいづくの雲のあなたにか、あたりて見ゆると問ひしに、はるかにゆびざして、あしこの雲のうちにこそといふほど、いつしか浮雲はれのきけるに、其指ざしおしへたる雲よりは、はるかに高く、空に聳えて、ふりあふぎ見るばかりなりしかば、さて其時ぞ師の歌おおもひ出でヽ、めで聞えたりき、〈近きころ東海道名所図会といふ書の、不二のかた画ける所に、大菅中養父の国歌八論斥非といふに、人の歌とて、心あての雪間は猶も麓にておもはぬ空に晴るヽ不二のね、とあるは、師の歌によく似たり、されどいささかのたがひにて、いみじく歌がらのおとりて、聞ゆるやうにこそ覚ゆれ、〉おのれは、かくいにしへ今によみ尽し来れるふじの山なれば、中々なる言葉にいひけがさんこと、いかヾとおもひて、名所山などいふ題にて、うたよむにも、此高嶺おばよまじとせり、こは此高嶺におよぶべき言の葉のいひうまじければなり、ある人この高嶺の画に歌よみてよとこひたりしかど、しか思ひかまへしことなれば、かくさへ聞えしお、猶しひてといひしかば、そのとき、 神世より雪にみがける山なればいひけがすべき言の葉もなし、とかいつけてかへしやりき、