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古事記伝
二十七
足柄之坂本(あしがらのさかもと)、和名抄に、相模国足柄上〈足柄乃加美〉郡、足柄下〈准上〉郡とありて、〈古本には、上下郡共に柄の字なし、其正しかるべし、凡て諸国郡郷の名、必す二字につゞめて書くことなる故に、字お省ける例多し、然るお省かず、三字にも書は、其の国にての私しわざなり、其も又例多し、〉下の郡に足柄〈阿之加良〉郷もあり、万葉三〈四十丁〉に、鳥総立(とぶさたて)、足柄山爾、船木伐、七〈十五丁〉に、足柄乃、筥根飛超、行鶴乃、九〈三十二丁〉に、過足柄坂雲々、十四〈五丁〉に、安思我良能(あしがらの)、乎氐毛許乃母爾(おてもこのもに)、又、〈六丁〉安思我良能、波姑禰乃夜摩爾(はこ子のやまに)、又、〈七丁〉安思我良乃、美佐可加思古美(みさかかしこみ)、廿〈二十七丁〉に、阿志加良能、美佐可多麻波理、又、〈四十丁〉安之我良乃、美佐可爾多志氐、又〈四十四丁〉安之我良乃、夜弊也麻故要氐(やへやまこえて)などあり、十四には阿之我利とよめる歌もあり、後の歌には関お多くよめり、此の山駿河と相模の堺なり、東の国の道、今は筥根お越れど、古へは足柄お越るぞ大道なりける、此は甲斐の国に幸す道なれば更なり、〈此の道は相模より此の坂お越て、富士の東北の方の麓お経て、甲斐に出る道なり、〉坂本は相模の方より上る坂本なり、