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木曾路名所図会

筑波山中禅寺 夫此山は、原本名筑坡と書す、いにしへ東海逆流して波たつ事多し、故に堤防お築てこれお避る、これによつて築坡と書す、後人訛りて筑波と名づく、二神登山し給ひて水波お鹿島の海に退け、こヽに鎮座し給ふ、〈◯中略〉男体女体の峯よりおつる一流の滝のながれお美那濃川と号す、これ女男の神の霊泉たれば、多く恋に詠じ、みたらしと名附、陰陽和合の流れなり、故に此山女人結界にあらず、坂東五番の霊山なり、特には東関官家の御帰依あれば、日々繁昌し、詣人道お遮る、こヽお東路の霊岳、まだ敷島の道の御神と仰ぐも、恐れありとしられける、抑此筑波山は、漢土の五台山の西南劈開けて、こヽに飛来したるといふ、故に山中に異草珍木多し、名お中禅寺といふ、江府の宿坊お護持院と号し、真言宗にして、寺領弐千七百石、筑波の町長くして、奇麗なる旅房多く、亦商家も多し、先は当国の名岳にして、みな此御神の恵みなるべし、一の鳥居〈町端れにあり、傍に句碑あり、〉雲はまうさずまづむらさきの筑波山 嵐雪