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倭訓栞
前編二十五比
ひえ 日吉おひえともいふは、住吉おすみのえといふが如し、旧事紀に日枝、懐風藻に稗叡の山と見えて、麻田の連陽春が作お見れば、伝教より前に、此山お開きしと見えたり、東鑑に金子山といふ、三代実録に大比叡神小(お)比叡神と見ゆ、大岳お大ひえといひ、西塔と横川と間お小ひえといへり、扶桑明月集に、崇神天皇元年甲申、近江国滋賀郡小比叡東山金大巌の傍天降矣と見ゆ、今山王と呼は、天台山の地主の金毘羅神お、山王と称せしおもて、伝教大師延暦寺お建し後、七社お比して名くるなり、仏祖統紀道邃伝附録に、日本国最澄、遠来求法、泛柯東還、指一山為天台、創一刹為伝教と見ゆ、日枝の坂下に、福成明神の社あり、是伝教大師入唐の時の従者に、舟幅成といへる者ありし事、入唐の時、天台山拝巡の路引の一紙に見ゆ、