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一宵話

竜之雲 高山へ登り、風雨雲霧の変に逢ふも、此海上の事に似よりしものなり、昔年高元泰が輩、日向の霧島山〈高千穂峯〉に登り、彼の逆鉾の辺に至りしかば、俄に山鳴り雲起り、面前真黒になり、おそろしといふもおろか也、青木主計頭、〈長崎の祠官也〉いつの間に用意しけん、袖より粟粒の類お取出し、疾風急雨に打向ひ、投かけ〳〵せしかば、やがて風静まり、雲晴たり、これは彼の天孫の昔お思ひよれるか、〈白石先生有記〉いづこの山も、高山はかヽる事有ものなり、心得すべし、此辺にても美濃国恵那郡恵那山(○○○)は、国中第一の高山なり、此山の祭りに郡中の村々より馬お引て登る事也、其日には必大風雨する、是お土人の説に、大勢が登り、二便して御山お穢すから、神きたなくおぼして、洗ひ浄め給ふ雨なりと雲ふ、是は神の御心とも覚へず、穢はしとおぼさば、祭うけ玉はぬがよし、客お請じて客の座敷よごせるお腹立るは、好主人にはあらず、まして終日山中に居て、二便せぬものやはある、おもふに深山窮谷中に、鬱蒸積充する雲霧湿気、数万人の声にひヾき動かされて、俄にさわぎ起るものならんかと、或人いへり、此も亦理あり、