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飛州志
三神祠
騎鞍権現在于本土、騎鞍岳、祭神未詳、 按ずるに、当山は州内第一の高岳にして、益田、大野、吉城の三郡に跨り、阿多野、小八賀、高原三郷の村里多く其麓に連る、後地は信州に続けり、此山の頂凹の如く、鞍に前後の輪あるに似たり、故に此称あるにや、嵿上おさして御前と号す、神祠等ありと雲へども、何れの時いづれの人、其所に至つて拝したる事実も無く、絶頂の沙汰に於ては、古人未分明、人倫不通の地と聞えたり、夏日と雲へども山上の雪尽ず、麓より二三里ばかりの間は諸木あり、夫より上は生木無し、適高さ三四尺ばかりの椵(もみ)の木あり、厳滑らかにして、草柏植(つげ)多く生じて苔の如し、又藤松と雲ふもの地に敷けり、是姫子と雲へる木也、凡て深雪暴風に脳まされて、高く延ることお得ざれば、自然と蔓(つる)の如くに、地お這ふて編たる如し、其上お踏んで歩み行所多し、土石山水其色赤く、信州浅間山に似たり、半腹より上とおぼしき所に広原あり、凡廿余町に四五十町余有らんか、〈此広原のかたはらに宣り、六七尺ばかりの穴二つあり、其故お不知、〉此辺に至れば、えならず臭気甚しく、眼に入つて痛めり、是より又遥に登れば、土地の気色変じ、清浄なること海浜の如しとも謂べし、焼石の如きもの砂石に交れり、此所の石間より初めて冷水涌出せり、山中希有の清泉也、然れども臭気の眼裏に入つて痛む事は増々甚しく、更に眼お開き難し、故に是より嵿には至り得ざると也、今世国人騎鞍禅定と号して、夏日登山するは、南の方高原郷より登れば、半腹に騎鞍権現の遥拝所あり、是に詣ふづるお雲へり、嵿上に至るにては無し、又下民の口碑に伝ふる処、此山上に沼池の数四十八ありと雲ふ、今其名目在所等分明ならずと雲へども、にごり池、あおたる池、あか池、かみの池、しもの池、野の池、ひうち池、すなばち池、まがり池、ひら池、つちとよ池、雄池、雌池、おうにうが池等、十三池は其名お呼べり、中にも此おうにうが池は、高原郷の村里旱魃のとき、請雨の術尽ぬれば、郷民議して数百人一列し、日没の比より蓑笠お携へ、鉦と太鼓お打、松明お燃して、此おうにうが池まで登山するお、祈雨の例とせり、池辺に至らざるに、必ず大雨降らずと雲事無し、其行程往来一夜半日ほど也、昔は俗魔所と称して、人の至る事曾て無かりしが、僧円空と雲ふ人、此山中に籠り居て、若干の仏像お造り、池底に沈めて供養せり、自是以来池のほとりまで、人の登山する事お得たると雲へり、其余俗説甚多し、略之、