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信濃奇勝録
三佐久郡
立科(たてしな)山〈三代実録に蓼科〉 此山、八け岳につヾきて、諏訪小県佐久の三郡によこたはる、頂上に神祠あり、陽成天皇元慶二年叙位の事、三代実録にみえたり、六月八日より二十八日まで登山す、就中十五日登山の人多し、何方より登るも五里程なり、故に山中に一夜おあかす、此山峯に雪の降積る事、外(と)山よりも早く、春にいたり解るも又遅し、遠く望めば飯お盛りたる如くなれば、飯盛(いもり)山ともよべり、巓は混巌石にて、松一面に延回りて、根も末(うら)もなきが如し、葉は姫小松に似たり、俗に延(はひ)松と雲、此巌石の間に鳥ありて栖む、たま〳〵出て遊ぶお、登山の人見る事あり、加賀の白山の雷鳥と雲に似たり、〈◯中略〉這(はひ)松の中お踏わけ、南へたどる事五丁ばかりにして、桜谷といふ所あり、此地おしなべて桜のみにして異木なし、然ども吉野はつ瀬の風情にはあらで、高さ三尺にみたずしてみな薮木となる、是高寒に堪ざるがゆえなり、花も浮世の春にはもれて、水無月半より発初め、下旬に至て稍盛なり、まことに花より外にしる人もなし、山中に甘露梅と雲草あり、葉は黄楊の如くにて、大小あり、大なるは実白く、小なるは赤し、採て嘗れば、味ひ梅のごとし、不老草は、常世草ともいへり、諸毒お治し、瘟疫おはらふ、檀栟㯕(だんへいじ)は、杖にして、中風痿癖の病お避け、小児これお佩て、驚癇の煩おふせぐと雲、其外異草多し、薬品は黄蓮、人参、〈ちくせつ〉中にも柴胡(さいこ)は絶品なり、一年糠尾村の医生宮原某、採薬に登りて見出し、採帰りて試るに、功能他に勝れり、因之京都の物産家に鑒定お請に、海内第一品と賞す、往古より柴胡は漢渡なし、銀州の産お銀柴胡とて、最上とすといへども、得る事易からざる故にや、舶来の物なし、和産にも二種あり、沙(かはら)柴胡は大に別なり、