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木曾路名所図会

浅間が岳は、極て高しといへども、此辺の麓の地高きゆへ、甚高くは見え侍らず、峯に常に煙たつ事、甑のいきの上るが如く、又雲のごとし、朝より午時頃までは立ず、大略夕がたに煙たつ、この山は半より上に草木生ぜず、一日の中しばし煙なき時あり、大焼する時は、五里七里の間火しく鳴動す、皿茶碗の類ひもひヾき破るヽ事あり、焼石も飛ぶ也、此焼石道のかたはらに多くあり、常の石よりは軽し、色は灰色にして少し黒く、耕作の妨なるゆへ、所々に集て積上たり、大焼はまれなり、小焼は時々あり、江戸のあたりへも、此山大焼の折ふしは、灰の飛来る事有といふ、此山は江戸の方へ近く、美濃尾張の方へは遠し、伊勢物語に、業平の道行の次第、伊勢尾張の辺よりあさまがたけお見て、歌およみたる様に書れしかども、伊勢尾張の方よりは道のほど遠く、山隔りて見えず、駒が岳は能見ゆる、業平の武蔵上野のほとりにて、浅間が岳およめる歌お、伊勢物語お編る人、前に書入にや、追分の駅より此麓まで三里あり、又麓より嶺まで三里半なり、嶺に巌窟ありて、虚空蔵の石仏お案ず、絶頂の大坑より、常に煙立のぼる事は硫黄の気あり、硫黄満る時は地火突発し、大石ほとばしり、砂石お降して麓おやく、其おと数百里に聞ゆ、此山今夏月の雪まれなれど、立春の後百余け日、霜冴て雪の晨の如し、又中秋より露寒く、あるひは霜早く来て毛作お悩す、又此山に落葉松生ず、富士松の如し、又紫草生ず、佳品とす、麓の追分より軽井沢まで、土地別して高き所也寒気甚つよし、五穀不毛の地といひつべし、