[p.0820][p.0821]
信濃奇勝録
四伊那郡
駒岳(こまがたけ) 駒が岳は、木曾と伊那の間に秀、十余里に連宣して、実に屏風お立たるが如し、俗に三十六峯八千谿と雲、続日本紀曰、天平十年八月、信濃国献神馬、黒身白髪尾雲々、駒岳の名此に出るか、宮所小野牧、みな其下に有、今村に竜飼山あり、宮所に竜が崎あり、皆是山脈、因て竜お以て号るなるべし、〈馬八〉〈尺以上曰竜〉亦竜崎観音、及び羽広の観音、みな馬の疾お祈るに、験有といへるも、駒が岳の説に出るなり、〈◯中略〉往古は登る事希なり、近来は其辺の里俗おり〳〵登山す、元文宝暦の一覧記あり、其大意、山中廻り九里余、日数二日半にて帰る、宮田小出より登る事、二里程行て権現釣根と雲所より、諸木野薦(のすヾ)しげりて道なし、大木の倒れたる上おまたがり下お俯(くヾり)て登る、まな板倉などいふ所嶮阻なり、延(はひ)松芝の如くなる上お、枝に取つき登る事数十丁、是よりは露気なし、夜も物湿ず、此松の外には九輪草の如き草、又黒色の百合あり、常の百合よりは少し小なるばかりなり、紅白の五月躑躅花至て小し、右の草木里に植るといへども、暑気に至て保たずといへり、のうが池と雲有、都て山中に三所池あり、何れものうが池と雲、此所の池、東は御所山、南は駒形ある山、西は岳つヾき、北は大沢なり、其中に西より見おろす所、長百間、幅六十間と雲、水面青き事藍の如し、中に赤き筋あり、其形竜のごとく、南よりうねりて、北の方細く、少し西へひねりたり、此池より三町ばかり登りて、本岳は雲お帯て南に高く、峻巒重り、谷々お見下せば、数十丈漫々たる海上おみるが如く、白雲靉靆たり、是より峯まで皆巌石お畳、嶮阻いふばかりなし、小松希に生て、岩間白沙ばかりなり、巌にすがり、又は岩より岩へ飛移り、からうじて登る事十丁余り、峯は鍋お伏たる如にして、少し南へ長く平也、萱草に似て重ねうすく、蔦の紅葉したる如き草所々にあり、夏の頃花咲ぬるや、希に実の結びたるあり、頂上より見渡せば、南はうつき岳の大山有て、飯田の方は見えず、西は尾州、伊勢浦、東北は富士、浅間、遠山おはじめ、近国の高山みな見ゆるといへども、村里は一面に平なるのみなり、