[p.0822]
千曲之真砂

うすひ山 是は信濃上野の境にて、嶺より西は信州、嶺よりあなた東は上州也、さればうすひの坂といはヾ上野、うすひの山といはヾ信濃なるべしと、ある人申きたれど、山とも坂とも通用して読来るなるべし、穿鑿に渉るべからず、此所十尾といへる谷合の紅葉、近国無双の景なり、暮秋の後は目お悦ばしめ、誠に錦繡の山とも謂べし、ひとヽせ中院大納言殿、此紅葉お賞し、詠歌あり、それより後は、領主より毎年紅葉の盛に人お遣はし、これお取紙に挟み、長櫃におさめ、京師の堂上、東武の数奇人風雅好事の人々へ遣り給ふ、いまは是例となりて廃する事なく、名産となりぬ、享保の末、元文のはじめの頃なるべし、ある歌人、碓氷の紅葉の頃こヽお通りて、甚是お賞し読るうた、里人聞とめて、書つけ置たるお見たり、惜い哉、其名おも所おも書とめず、読人不知としてあり、堂上たるや、地下たるや、其名おしらぬこそかへす〴〵も口おしけれ、 山の名はうすひといへど幾ちしほ染て色こき峯のもみぢ葉、誠に歌がら唯人の詠ならじと、人々申あひぬ、