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諸州採薬記抄録
出羽の国 月山の麓志津村に旅宿し、夫より湯殿山へ行、浄土江六十四里越と雲、六町一里なり、此所お越て、装束小屋、援にて衣服お改め、金銀銭其外所持の品お此所に置、是より先の様子人に語る事お堅く禁ず、道の傍に青銭沙の如しといへども、是お取人なし、参詣の輩一心に無量寿仏の称号お唱るばかり也、然るにかの青銭、旅人の差置る金銀荷物等お、盗賊山越に来りて是お盗み取といへり、依之彼の賊お防人、此所に鎗の鞘おはづし、いかめしき番人あり、此入口装束小屋より、湯殿山の奥の院まで、道法廿町計も下りて、此辺に衣服改め、又誓言場あり、道筋に鉄の鎖数け所有、その所に諸の地獄有などヽいへり、湯殿山奥お拝するに四五間廻り程に、地下にて取あつかふ、物詣てする折から、行人などの持る世に梵天とやらん雲物お、此所に立並べ、垣の如くにして、此内に弥陀一体〈長さ三尺ほど〉外に二体有、是お拝する所、左右青銭瓦石の如くつもる、冥途への文など、婦女の説に落入輩、此所にあまた是お置、此辺蚤休あり、〈葉草の名なり〉俗にぼんでん草と雲、是より奥の方へ予十町計分入といへども、篠竹のみ多有て行事お得ず、援より帰る、又山お段々分登り、本道寺口湯殿山月山衣類改所、羽黒山装束場あり、何れも此辺大難所也、牛の首と雲所に石地蔵有、此辺直根上人参、その外蚤休あり、羽黒山道荒沢常火堂あり、紀州熊野山と同く、高野山、此焼日本三け所の火と雲、如何成故にや、その由来お知らず、