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諸州奇跡談

越中国 同国立山、社僧数け所有、〓堂五間四面、西向也、此堂に加州より、米五斗入百俵づヽ年々寄附あると雲、前に天の浮橋有、長さ二十五間、横二間余、同所に大なる杉の名木あり、十三尋廻りと雲、珍敷大木なり、浮橋に歌有り、 浪たかく渡る瀬もなし船もなし昨日もけふも人はこへつヽ、詠人しらず、案内の者語にまかせて援に記す、此所より立山本社権現まで、大難処九里八丁ありといへども、十三里程有、したり各此辺より木の根にとり付、やう〳〵行処数け所あり、其外所によりて腰たけ、川に入渡る処所々にあり、又正明川と雲に、長さ二十八間の藤の釣橋有、諸国より参詣の者、十人のうち八九人は此処より帰る、名お伏拝といふ也、諸人此処より拝して、帰るによつて其名あるにや、かの釣橋お越、だん〳〵難処の雪おふみわけて、五里ほどゆけば、又壁お建たるごとくなる処あり、それお一里計升、其上に立山権現の本社あり、九尺二間南向なり、中尊は宝蔵ぼさつ、左り弥陀如来、右不動明王也、此処より東の方に日光見ゆる、南の方に信州浅間山、飛州乗鞍山見ゆる、当山開基の慈興上人、大宝元年より元文五申年迄、千四十有余年に成といふ、此処の宝蔵に宝物種々あり、山中に一里ほどの湖水有、此辺より温泉涌出る、これお立山の地獄といふ、参詣の人お迷はし銭お出さしむる、また山中に〓と雲鳥あり、雉子の雌鳥に似て、とさか有、美き鳥也、此山の名鳥なりと雲、立山の険難なること、富士に十度登るよりは、立山江壱度のぼるかた甚だ辛労すと雲り、廻国の僧も、山上まで行とヾまる者、百人に一人もなしと雲、六月十日より、同十四日迄、〈予〉此山中に居ること有、今年の時候例年と違ひ、暑熱よわきかたに覚ゆ、此節山上雪ふかきこと四五尺有、水お求るには雪お器に入、そお焚解して水とす、霧強くして甚だ水冷也、煮ものにへかぬる故、食物は糒団子やうのもの外用ひがたし、甚だ険難の地也、彼ふるき雪、例年酷暑の節は、一日のうちにも消ること有といへり、