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愛媛面影
一周敷郡
伊予高嶺(○○○○) 周敷郡に聳て、東は新居に渡り、西は浮名郡に及べり、今世に石鉄(いしつち)山といふ山是なり、此山の東南は土佐国長岡郡にて、神名帳に所謂長岡郡石土神社あり、此社石鉄山の東南の麓にて、俗に是お前神と雲、山上の神お奥院と雲、此神の名は、古事記に次生石土毘古(いはつちひこ)神、註訓石雲伊波とあると同じ神にて、伊波都知なること、後世誤ていしつちといひけるなりと、土佐高明志といふものにみえたりと、玉井春枝かたりき、横峯寺にある正保五年本堂再建の棟札にも、石土山別当大願主権大僧都尭賢敬白と見たり、古は石土と書し事しるし、山容嶮くして、太く神さびて、此国内に秀たる高山也、昔役小角始て此山に登り、其後石仙といふ道人、山路お開き、絶頂に神お祭りけるよし、雪は五六月の頃消て、八九月の頃より積れり、毎年六月、諸人登山するもの多し、大戸といふ所入口なり、麓より九里八町ありと雲伝れども、さまではあらず、又大保木といふ所よりものぼる、万葉集山辺赤人歌に、極此疑伊予能高嶺(こヽしきいよのたか子)とよめる是なり、