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遊囊剰記
十二
彦山は、当国第一の高岳なり、三伏に山坊に宿して、終夜冷然、数日の苦熱お忘る、明れば主僧先達して、岩石お攀て高頂に登る、眺望殊絶なり、拝礼畢て谷々お巡行し、草萊の路お分て、求菩提山へかヽり、中津の方へ赴く、 九州記、彦山と申は、西国第一の大山にて、豊前豊後筑前三け国に跨ぎ、山中坊数三千に余れり、彦山大権現、本地は西天竺の霊神たり、人王十代崇神天皇の御宇にあたりて、天竺より五の剣お東へ向て擲玉ひ、吾縁の有方へ留るべしとちかひ玉ふ、一は紀伊国室郡に留り、一は下野国日光山に留り、一は出羽国羽黒の嶺に留り、一は淡路国乙鶴羽の峯にとヾまり、一は豊前国彦山に留る、彼彦山に飛来らせ玉ふ時、其形八角の水精にて、御長三尺余に見へ玉ふと雲伝ふ、