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豊前国志
二田川郡
英彦山事記 抑是なる彦山と申は、西国第一の大山にして、豊前豊後筑前の三が国に蟠り、朝爾夕爾雲立起りて、天上爾聳へ、されば山上高千穂の嶺爾は、二神降臨の地、なほ次第々々爾高神等の止り賜ふ嶺にして、世爾隠れなき名山なり、〈◯中略〉 修験行の始は、人皇四十代、文武天皇慶雲二年、役行者此山に登り、神勅お請、金剛胎蔵両堺三季の峯お踏開き、是より修験行法伝灯相続し、今爾至て一千百余年、解る事なし、 〈行者の開峯、日本六峯の内、日子山第三の峯也、第一は紀伊の大峯、第二は大和の金の峯、第三は鎮西日子の峯、第四は讃岐の石槌山第五は出羽の羽黒山、第六は摂津の箕面山、是お行者の開給ふ六峯とす、大宝より和銅に至り、異国本朝行返の間、神仙小角、此山爾峯お踏事三十六度也と雲々、〉