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西遊記

阿蘇山 今よひは阿蘇の大宮司のもとに一すくして、あすこそは峯にのぼらんと心ざせしに、昼過る頃より風の色少しあしうみゆれば、あすになりて雨ふり、登山の縁おうしなはん事もやと思ひめぐらすにぞ、心あはたヾしう成り来て、今よりもと思へど道なし、すぐさんもほいなければ、山の北の麓の的(まと)石といふ里に入りて、あないの人お頼みて、山の北おもてより登る、木こりのみ行かへば、道いと細くけはし、絶頂に至り付ば、日既にくれはてぬ、昼参詣多き時に、商ふためと、旅人などの行くれたるが、宿る為に茅屋あり、唯むしろもてかこひたるばかりにて、床とてもなし、此内に入りて宿る、名高き峯に登りつめて、空もいと近う、星探るべき程なるに、夜あらしの吹わたる音も物すごくて、一山人倫たえ、四方寂ばくたるに、夜ふくるまで目もあはず、又もゆるあたりも程遠からで、地震ひ山動く、世にある心地にはあらず、夜あけぬれば、きのふおもひしにはことなりて、山かづら引渡せる間に、朝日の影いと花やかなり、夜半のわびしさ引かへて、心いさめり、とく起出てもゆるところにいたる、大なる穴あり、是おみかどヽいふ、中のみかど、北のみかど、法性崎と名付く、都合三が所なり、当時さかんにもゆるは法性崎なり、たとへばふいごの口のごとし、黒煙天お覆ひ、時々火出て、其音のおびたヾしき事、隻今此山みぢんに砕る心地す、其勢ひは筆に書つくすべくもあらず、しばし見居たれど、我身も山とともにくだけさるべき心地して、あくまでも、みつくしがたし、少し下れば大なる堂あり、内に額あり、寿安鎮国山と書り、是はもろこしの帝より、むかし此山の霊異なる事お伝へ聞給ひて、此五字おもて山お封じ給ひしなり、堂は傾き損じたり、人はもとより住べき所にあらず、むかしは是より下つかたに、寺院多くありしといふ、すべて絶頂は海浜のごとくにして、硫黄の気にて白くみへ、石は皆金くその如くにして、土砂ある事なし、しばし下れば土見へ、草ありて、はじめて世界の景色あり、西の方に、はるかに雲仙がだけあり、北の方に、豊前の彦山お望ぞむ、其外の眺望は、四方の山にへだてたり、此阿蘇の山は、目八分の山四方お囲みて、堤お築きたるごとく連りめぐれる、其真中に、此阿蘇山のみ基お別にして、一峯秀たり、奇妙の地形なり、此山の四方のふもとお阿蘇谷といふ、幅弐三里ほどづヽにして、平田あり、唯西の方のみ、少しばかり四方の囲の堤のごとき山きれて、川流れ出たり、伝へ雲、上古の世は、此地湖にて、阿蘇山はみづうみの中の島なりしが、阿蘇の明神、むかし此国の守なりし時、西の方の山お切り通して水お落し、湖お干て田地となせりと、誠に此地の様すお、つら〳〵見るに、湖なりし事虚説にはあらじと思ふ、又人智の古今なき事お感ず、