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徴古文書
乙甲斐
富士山噴火実況覚書〈宝永四年〉 宝永四〈丁〉十月富士山表口駿州大宮之民屋浜其後地震日々無止、而月お越十一月十日比より、富士山麓一日之内に、三四度づヽ鳴動する事甚し、同廿二日之夜、地震之する事三十度計、翌日之朝六つに大地震、女人子ども周章顚倒者、其数火敷、然どひ死者は壱人も無之候、同朝五つに、又大地震、鳴動する事車輪如轟、而富士山麓、駿州印野村之上木山と砂山との境より、煙埋巻立登、其音如雷に而、民屋も忽潰ごとくに動く故に、壱人も家に居住難成、夜に入、右之煙火炎となり、空に立のぼり、其内に鞠の如の白物と、火玉天お突抜ごとくにして上る事火敷而、如昼輝、吹出る煙東へ押払、雲の内にて鳴動する事如雷、天地に響、忽如落而、火元より雲先迄如稲妻にて、夜は微塵も見へて、昼より輝、〈◯中略〉須走村お始、みくりや領、廿三日昼五つ時分より暗して、昼夜の分も不知、始には白灰おふらし、次には白色にして塩石のごとく大なる軽き石降、其内に火気お含、落ては則火炎と燃上る、廿三日之昼七つに、須走村禰宜大和家に火の玉落、忽炎焼、須走町之者、石のふるお凌ぎ立噪処に、夜九つに又町之内へ火石落不残須走村焼払、廿三日より廿七日、迄五日之内砂之ふる事壱丈三尺余、下は御殿場仁杉村お切、東はみくりや領足柄迄、砂のふる事或は三尺或四尺計づヽ降積、谷河は埋て平地となり、竹木は色お片て枯山となる、人の住べき様なし、廿七日之夜中より、煙の出事日々薄して、月お越十二月九日之晩、又右之如くに火敷焼上りて鳴動す、其夜半比、何やら二度火元より東海面へはねるお皆人聞、九日朝自煙消る、十日朝雪降、昼七つに雲晴てあらはる、右之焼出し穴口より須走村之上へかヽり、富士山麓に大なる如宝珠の新山出る、誠に吉田之儀は、本より神職浅間之守護深き故、須走境か古坂お切、下は上の原境お切、郡内領之内少焼煙不懸、殊に少も砂のふる所なし、折々煙棚引といへども、西風起て吹払、片時も暗事お不得して、旦那場へ出さる、御師は廿三日より浅間之宝前に集り、日々御山御安全、天下泰平、国土安穏、諸旦那長栄之御祈禱抽丹誠、煙鎮迄御宮に参籠而、感応成就、村裏無難之御札進上仕候、何も御覧之ため、如斯に御座候、