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碩鼠漫筆

浅間山の火 抑此浅間山は、信濃国佐久郡と、上野国吾妻郡とに跨り、両国の界にては、最第一の高山なり、されば先年、〈文化の頃か、猶尋ぬべし、〉国人互に自国の山といふ諍ひ出来て、おほやけに訴へければ、実撿使おも遣はされなどしつれど、とかく事きれずして、年月お経る程に、信濃なる訴訟人は、頗る世才ある者にや有けむ、心きヽたる者お、京の扇師がりのぼせて、彼山の形状お扇数千本に写させ、信濃なる浅間が岳にたつ煙おちこち人の見やはとがめぬ、といふ〈伊勢物語及新古今集羈旅の部にいづ〉古歌お賛とし、それの日迄に調ぜよと約して、偖其後は取にも得ゆかず、しらぬ顔して帰国せしかば、扇師はすみやかに折はて、月お経てまてどもたよりもなければ、止事お得ず売弘めたりけん、程なく此扇都鄙に流布して、おのづから彼公事に関かりたりける、司人(つかさびと)の手にもいりたりしかば、誠や此古歌こそよき証なれとて、既(やが)て事きれて信濃人は勝ちぬと、其国人に聞しことあり、今此上野国司の解状に、国中有高山称麻間峯とあるお見れば、彼古歌にこそは信濃なると見えたれ、それは上古のためしなるべし、〈信濃の木曾も古代は美濃に属(つけ)り、古今地理の沿革は、此他にも猶多かり、〉中頃より後は転(うつ)りて、上野国に属りしなるべし、もし彼裁許せし公人(おほやけびと)の、此解状おみしられましかば、何れお勝とか決断せられむ、