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信濃奇勝録
三佐久郡
浅間山 古歌に浅間の烟お詠るは、古今集に、雲はれぬ浅間の山のあさましや人のこヽろおみてこそやまめ、とあるお始とす、此山つねに煙たちのぼるときは大焼なし、烟絶るときは、硫黄の気、地中にみちて大焼あり、此穴お釜となづく、巡り一里といへり、天明の大焼より穴深き事底おしらず、日本紀に、白鳳十四年三月、信濃国灰降、草木枯とあるは、其時此山大焼ありし故なるべし、中右記雲、〈◯中右記文在前故略〉大焼の事、其後さだかに記せしものなし、或書曰、大永七年四月大焼、又享禄四年十一月二十二日大雪降つもる事六七尺、二十七日大焼にて、麓二里程の間、石の降事雨のごとし、灰の降こと三十里に及ぶ、二十九日大雨にて焼石お押出し、麓の村々多く流失すといへり、今壙原に磊珂たる焼石は、其時の漂出なるべし、正徳元年二月二十六日大焼、震動半日にして止む、灰の降事一寸、享保八年七月二十日大焼、何事なし、同十四年十月二十日、又大焼雲々、此山煙絶、穴埋りて平地となる事年あり、天明三年の春より烟たちのぼる事度々なりしが、五月二十六日大に煙立、中空に綿お重るが如し、六月九日二十九日、又大に烟たつといへども、音はなし、七月朔日より次第につよく、五日六日に至ては、黒煙天お覆ひ、震響百里に及び、八日、山破れて泥水発せし事は、古今未曾有なり、