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西遊雑記

雲仙け岳〈俗に温泉が岳といふ〉は高山にして、昔八寺院三千坊ありて、今の高野山のごとく、食地も多、繁昌せし仏地也しに、元亀年中より、南蛮国より渡りし異僧此山に住して、彼のやうの法お延めて、一山こと〴〵くやその宗門に入て、大ひに信用し、当山より僧お九州にめぐらし、やその法お弘む、肥前の国中過半、此法にかたむく、元和の頃、公儀より厳敷禁じ給ひて、寺院お焼亡し、此法お改め、さる僧徒数百人、血の池と称せる、熱海の涌出る池へ沈めて、一寺は残らず破却し給ふ、是より以来異法お禁じ給ふ事、厳重也といへども、今以九州の地は遺事残りて、他国と違ひ御吟味つよく、絵踏(えふみ/ふみいた)といふ事ありて、異法の本尊お銅板に鋳付、夫お下民にふまする也、大勢の中には、踏事おいやがりて、彼本尊の上おふむまねおして、飛越るものありと風聞す、悪人お集め入には、色々怪異ある法といふ、扠此山において、湯の涌出る所限りもなく、夫お地獄と称して、さまざまの岩あり、一山硫黄の山にや、山に入ては硫黄の臭気甚しく、今霊仙寺といふ小院一け寺ありて、此寺に止宿もし、茶にてものむ事になるに、茶にても水にても、硫黄の臭気ありて呑がたく、谷々の流にも湯気立あがりて、いかにもあやしき山也、麓に温泉ありて湯本と雲、功もありとて入湯の人もある所也、此温泉計にあらず、谷々に温泉ありと土人の物がたり也、当山などへは心ある人は登らぬ事也、毒石草もあらんやと思ふ程なる、あやしき山なりき、