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笈雉随筆

地獄越中立山奥州宇曾利山、信州浅間岳、豆州箱根、肥後阿蘇山、奥州外け浜等には、天道あり、地獄あれ共、禅定の行者ならずしては、目のあたり見る事なし、故に所説にも虚談多し、又見て真実お語るとも、人怪しみて信ぜず、又書に伝ふる処もなし、但今昔物語に曰、越中国立山といふ所に、昔しより地獄有といひ伝へたり、〈◯中略〉此等の外、唯口述のみなれば、あるなしの論区々也、猶委しくいはんにも、常に人の至らざる地は、必ず疑ひあやしむなれば記さず、適西州に一大地獄有、此地は行者ならざる者も容易く至る所なれば、形勢お筆して、其見ぬ人に便りとす、予肥前国に遊歴せし頃、肥前国温泉山は、島原の領地也、海中に差出て、三方は海也、後に妙見山普賢山とて双立り、地続より至れば、其両山の間お嶝お上り下り行、半途に島原侯の番所あり、入切手お取て行也、春夏は浴湯の人もまヽ有とかや、此地は彦火々出見尊お祭れり、往古は僧坊甍おならべ、巍々たる大伽藍なりしお、切支丹耶蘇宗門に帰依して、一旦破却せられ、今才に一乗院と雲一寺のみ、壙々として哀れ寂しき有様なり、寺辺に少々平地なる所一村有て、浴室の人家あり予は十月半に至りしかば、人跡希に雪風烈しく、別して寂寞たり、一山皆赤土にして、瓔礫つヽといふ樹木満山せり、温泉の湯気にや、帰り花多く咲出たり、其平地に温泉あり、人家の塹溝にも、道路の石間も、熱湯迸り出、湯気立昇り、山間お覆ふ計り、謁々として昼は湯けぶりと見へしも、夜は皆火の如く燃上り、所所に石鳴ひヾきて唯物すさまじき体也、流出る温湯は、悪臭く鼻お突、土石皆赤く錆て、更に自余の気しきなし、翌日地獄廻りすべしとて、案内者に連て行しに、先三途川と名付る細き流れあり、其川向に奪衣婆(だつえば)有、又側に牛頭馬頭石有、何れも地上お出る事四五尺也、近寄見れば、左も尋常の岩なれ共、少し隔て見れば、姥石は川端に臨て、少し俯伏たる様、実に 地獄の絵図に見るが如し、髪打かぶりすさまじき形と見ゆ、牛鬼の角ある、馬鬼の蹲りたる様、罪人お待けしきに妨仏たり、六道の辻には地蔵石ありて、傍に小石多く積たる、宰の河原とやいふ、胎内潜り、岩針の穴通し抔といふあり、浄破梨の鏡石は、あざやかに人影お写し、業の秤石は、罪の軽重おしるべし、剣の峯は、鋒刃お植たる如く也、扠藍屋の地獄は、池水藍よりも青く、酒屋地獄は、美酒の池水有血の池は朱の鏡の如し、中にも修羅道の恐しき様はいふ計なし、猛烟立覆ひて、熱湯岩間より飛出るに、下より滔々と鳴ひヾきて、岩と岩とは寄擊て相戦ふは、誠に敵するに似たり、其外種々の地獄、世に言伝ふる所の如し、紅蓮、焦熱、無間、叫喚等、経に説処皆備ふ、援に一所珍らしきおかしき地獄あり、名目も又滑稽也、号て隠し餅の地獄といふ、立より見れば、水なくて泥計りなる池の、方十四五間計り也、暫く彳み見る内、底よりぶつ〳〵と湯涌出て泡と成、其丸さに大小あり、或は盆の如く、又茶碗皿の程に、其数おしらず、池一面に並べ置たるに似たり、斯有てはた〳〵と人音すれば、一時に消失ぬ、又声おなさず息お詰て見てあれば、頓て初の如く泡沸出る也、幾度も同じ、物音なければ、いつまでも消ずしてあるにぞ、是には恐怖の心も打忘れ、腮お解て時お移しぬ、此奥の一の谷、大きなる原の如く、人力お以て平地とせるあり、予怪しみ問ふに、案内者の曰、此所は八万地獄と言所にて、殊に大地獄なりしに、近き頃人有て、斯平地となし、打潰して明礬お作るなりと聞て、驚きながら、こは悦しき事かな、斯の如く地獄お破壊する事、偏に仏法繁昌して、善者多く堕獄のもの少く、今は地獄も無用なりやとて、大に笑ひし、此一件お以て、立山、南部宇曾礼山、豊後湯岳等、皆同事なる事お推察すべし、