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西遊記

地獄 肥前国雲仙(○○/うんせん)が岳(○○)は、西国の名山なり、山のふもと皆海にて、才に北の方ばかり、縷のごとく陸に連れり、高さ三里、唯一峯に秀でヽ、甚見事なる山也、唐船などの長崎へ渡るにも、大洋の中にて、此雲仙が岳お目当とするとぞ、予も長崎より帰る時に、千々輪灘お船に乗り、此山の麓の千々輪といふ村に付て一宿す、此里は天草一揆の時、賊徒の中に名高かりし、千々輪五郎左衛門が在所なり、此千々輪より山に登る、道嶮敷、水なくして誠に難所の山なり、やう〳〵昼過るころに絶頂に登り付く絶頂は平地にて、民家そここヽに見へ、田畑も多く、折しも稲心よく実り、其中に幅三間ばかりの川ながれたり、天外の一小世界にして、実に地上の仙境ともいふべし、向ふおはるかにみれば、茅葺の仏院みへて、撞鐘の音幽に聞ゆ、此寺お一乗院といふ、むかし文武聖武両朝の御帰依深く、其頃は殊に繁昌し、猶近きころ、天草の乱迄は、寺も多く、四拾八院までありしが、賊徒此山に拠りしに依て、公よりこぼち捨られ、今は才に此一乗いんばかりこそ、むかしの俤お残せるとぞ、今の院主より六代前までは、京都より堂上家の公達お申下し、住持有けるよし、いかなる御家の公達にてかありけん、かヽる鄙のはてに来り給ふ、其名も聞まほし、一乗院お尋ねしに、院主迎へ入れていろ〳〵物語し、風雅の人、筆の跡のこしたまはれといふ、予も拙しと辞せしかど、強て求るにいなみがたくて、七言絶句一首お作りて与ふ、院主よろこび、昼飯など出してもてなす、それより沙弥案内して、地獄めぐりす、しやう熱地ごくあり、きやうくわん地獄あり、藍屋地ごくあり、餅や地獄あり、鍛冶や地獄あり、酒屋ぢごくあり、其外かず〳〵みなそれ〴〵の模様ありて、多くは皆熱湯の池なり、其湯墨よりもくろく、雷のごとき音して湧上り、或は石ほどばしり、煙巻、炎燃て、其おそろしきこと書つくすべきにあらず、東国にては越中立山、津軽の焼山、皆地ごくありといふ、此類なるべし、もしあやまちて落入らば、たちまち煉れ死すべし、久敷みるべき所にもあらず、十け所計めぐりて、沙弥にわかれ下山す、眺望はいふもさらなり、此峯には瓔礫躑躅といふものあり、見事なるものにて、珍敷ものなり、又大なる池あり、池の傍草うるはしく、駒多し、此牧にても年ごとに駒多く育といふ、かく高き山の絶頂に、広き牧あるも奇妙の地なり、下りには東へ向ひ、島原の方に道す、城下まで下り坂五里なり、其道より天の四郎が籠りし原の城など見ゆる、今の城下よりは南の方にて、やはり此山の裾なり、東南の方に、海おへだてヽ程近く、天草の島なり、予も島原の城下に一宿して、又ふねに乗り、天草に渡れり、