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西遊雑記

阿蘇山は、さしもの高山にはあらざれども、古しへよりも燃る山にて、其名世に知る事也、すべて燃る山は硫黄山にして、臭気甚し、数年燃るは大山にもせよ尽べきに、造物者のなす事にして、尽る事さらになし、かしこき人の癖にして、天地の事にいろ〳〵の理お付、理おうがちて大言おいふ事あり、何れお聞ても猶のやうにても、皆々此方より付し理にして、世に雲私なるべし、坊中の町より休所の小屋迄、林道六十余町といふ、休所に至りて見るに、煙りお吹出せる洞数百間余、真黒に見へて、けぶりお吹出せる勢ひおそろしげに見ゆる、春秋は絶て強く燃え、夏少少よはしと雲、闇夜に火のひかり有りて、昼は煙り計也、凡四五里の間は煙お見る事也、古人の物語りに、今年より四年以前地動きなりて、烟に交りて灰お吹出す事おびたヾしく、地上五六寸もつもりて、山の内雷のごとくに鳴ひヾきて、阿蘇郡の村々、逃去らんや、いかにせんやと、援かしこに群集して、日々いかヾせんと人心もなかりしが、さすがにすみなれし家宅お捨て、他方へも行がたく、死なば一所と忙とくらせしうちに、いつとなく山もしづまりし故、安堵のおもひ有しに、牛馬は山近き村々にては、みな〳〵死せしと也、是は灰のふりかヽりし草お喰し故と雲、此辺の石は赤色にて、他国の石とは異也、図せる所の草木なき山は、ふすぼりしやふに見ゆる事也、山形も嶮にして、信州浅間山と違へり、麓に山伏等此家頭は座主と称して、熊本侯より百六拾石御寄附地有り、坊中といふ僅の町有、宿屋も見え侍りし也、此山の開祖は元三大師にて、色々の宝物も有よし、常に参詣も有る所なり、燃る洞お上宮と称して、山の霊お祭りて願望せりといふ、少し解せず、