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遊囊剰記
十三
薩州旧伝記、享保元年申九月二十六日の夜半に、霧島西岳震動して、神火焼出し、三里廻程所々焼立、御材木名木の山、金胎両部の池、東光坊権現の社、高原神徳院、佐野権現の社まで悉炎上、それより打続、酉正月まで、石沙入の外城十二け所、焼家六百四軒、怪我三十一人、死牛馬四五匹、田畠六千二百四十町八反六畝拾九歩、合せて損亡六万六千百八十二石余、