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塩尻

享保九年甲辰五月十三日、奥州岩城領、〈内藤丹後七万石〉巳の時より熇暑甚数、人家熏嚇にたへず、水お汲て頸お洗ひ、浴するに忽ち湯となる、年寄たるもの、幼き童、及び病床に臥せる輩、一時に正気お絶し、又即座に死せしもの数おしらず、川沢も蒸熱し、煎したるが如く、池魚林鳥こと〴〵く煩死せしとかや、かヽる事は聞も不及とぞ、信州木曾の奥山なる僧の曰、酷暑廻りて雷発すれば、やがて暑気散ず、雨なくして山岳温熱の毒気発せざれば、抜出て山中陰烟の気、昏々として野お衝き、里お行事霧のごとく、嵐のごとし、その通り行所々如斯のよしと雲々、人物お慎むべし、数十年にたま〳〵あると、岩城の辺定めて山近き所なるべしといへり、