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東雅
二地輿
杜もり 日本紀に見えし長柄杜、私記に読てもりとす、〈天武紀〉世人此字お読てもりといふ事、これによれりと見えけり、されど此杜の字の如きは、社の字おもて誤写してもりと読しか、旧事記に見えし湯津楓木(ゆづかつらのき)、古事記には湯津香木(ゆづかつらのき)としるし、日本紀には湯津杜木(かつら)と見えて、此にかつらといふと註せられけり、私記には杜字は桂字お誤れりといひけり、長柄杜の如きも、もし初より杜字に作りたらむには、私記またこれおも其誤お正しつべし、然るに是等の説も見えず、読てもりといひし事は、必これ後人の写し誤りにして、私記の頃ほひにては、社の字たりし事疑ふべからず、万葉集には、社また神社の字共読てもりといひけり、古の時は、此国にしても社には樹お植て其主となされ、それおばもりとも、またいつきとも雲ひし也、日本紀に石上振の神椙と見え、生国魂社樹(いくくにたまのもりのき)などみえて、また隼別(はやぶさわけ)王の舎人等の歌の詞にいつきと見えしお、私記に森也と釈せしが如きこれ也、また此事によりて、神社にしもあらねど、凡木多くしげき所おももりなどいひしお、後人遂に木多貌也といふ義もあれば、森の字借用ひ、もりと読む事にもなりし也、かヽるならはし、いづれの代にも多かる事なり、古の語に、神社おもりともいつきともいひし其義の如きは、既に闕けぬと見えしかど、素戔烏神新羅の曾尸茂梨(そしもり)の所にやどり給ひしと見えし、また神籬の字読てひもろぎといふ、そのもりといひ、もろといふ、并にこれ古に神お斎祀するものお、さし雲ひし所にて、また後にははやしなどいひしに同じき事にぞ見えたる、〈もりといふものヽ事は、倭名抄に見えず、其字日本紀にみえし所にて、世の人ふるく用ひ来りぬればこヽに附しぬ、〉