[p.0933][p.0934]
都名所図会

嵯峨野は、大覚寺清凉寺のほとりお北嵯峨といひ、天竜寺法輪寺の辺お下嵯峨となづく、野々宮の其中途なり、いにしへより閑静の地にして、故人も多くこヽにかくれ、秀詠の和歌数ふるに徨なし、凉順も此地に遊んで紫藤の賦お作り、楼台空く僧侶の室となりぬるお歎きしは、文粋にのせけり、こヽは旧野山とも田猟の地にして、嵯峨帝始て御狩ありてより、文徳清和陽成の三帝はおこたらせ給ひしが、光孝帝かさねて興し給ひ、御幸なりぬ、あるひは此野へ官人お遣されて、松虫鈴虫などおとらせ給ふに、其とき野に虫屋お造り、音よき虫お撰て奉りけり、