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東遊雑記

那須野の原にて〈図あれども略す〉殺生石の事は、世に怪説数多あり、〈◯中略〉土人数人お近付、且大田原侯より出し給ふ役人の宅に至り、殺生石の事お委しく尋聞しに、慶長元和の頃迄は、那須野の原と称せる所、南北凡二十四里、東西は五里七里もありし広大の野原なりし由、今は田畑となし、南北やう〳〵十一里ばかり、東西のひろき所四里余、或は二里一里、夫も所々は田畑も有て殺生石のある所へは、大田原の町より曲道七里、黒羽侯の〈大関伊予守〉知行所にて、那須山と称せる山の半ふくにあり、