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牧は、まきと訓ず、うまきの略にて、馬城の意なり、牧の字は元と支那にて養牛の人お言へるが、転じて其地お謂ひ、再転して養馬の地おも謂ふ、我邦亦牛馬放養の地お汎く牧と称せり、凡そ牧には公設あり、私設あり、其公設の牧には牧監、別当、主当、牧長、牧帳、牧子等ありて、飼養并に牧場の雑事お掌る、〈牧監別当の事は、尚ほ官位部左右馬寮篇にあり、〉其私設のものに至りては詳ならず、而して公設の中に勅旨牧あり、延喜左右馬寮式に、甲斐、武蔵、信濃、上野の四国、通計三十二牧お掲げたり、其飼養する所の馬は、毎年八月朝廷に致す、之お駒牽と雲ふ、〈四月駒牽の事は武技部騎射篇に八月駒牽の事は官位部左右馬寮篇に在り参看すべし〉故に其飼養する所の数も亦多かりしが、式例漸く行はれざるに及びて、其所在の不明なるものあるに至れり、又官牧の諸国に散在せるものは、延喜兵部式に載せたれども、当時馬政宜しきお得ざりしかば、著名なるもの甚だ少し、是に於て、鎌倉幕府に至りて、諸国の牧お興行せしむることあり、徳川幕府に至りては、小金原の牧場お以て公牧とせり、又古昔に在りては、乳牛お飼養するに牛牧ありし事、延喜宮内式、典薬寮式に見えたり、