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甲斐国志
四十九古蹟
巨摩郡西郡筋 一八田の御牧(みまき) 高尾村御崎文殊社に掛鏡一面あり、円径八寸六分、内に三体王子の像お鐫れり、銘に甲斐国八田御牧北鷹尾、天福元年〈大才癸巳〉十二月十五日、大勧進蓮幸房弁妻とあり、加賀美、小笠原辺より北お、里人は多く八田の庄と雲伝へり、今上(うへ)八田村存せり、此所にては西山の別名お八田山とも雲なり、〈◯中略〉続日本後紀、承和二年四月丙子、甲斐国巨摩郡馬相野空閑地五百町賜一品式部卿葛原親王とあり、馬相野の地今不詳、按に鳳凰山、駒け岳は霊駒お産するに名あり、御勅使川の北に方駒場村相対し、其続きに有野村あり、有野は即相野の訛転ならん、相の言は合なり、草馬の相会集する義なるべし、因有八田御牧の名、斯る壙原遼野に非ずんば、空閑五百町の地、何の処にか索むべけんや、承和の後百余年にして倭名抄成り、而て此処の郷名お載せざれば、馬相野は唯原野の名ならんのみ、馬あひ野と訓じて可なるべし、