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甲斐国志
四十古蹟
八代郡大石和筋 一黒駒牧(○○○) 八雲御抄は、くろこま、甲斐とあり、日本紀に雄略帝十三年、木工猪名部真根有罪、仍付物部刑于野、〈中略〉以赦使乗甲斐黒駒詣刑所、止而赦之、解徽纆、復作歌曰、農播拖麻能(ぬばたまの)、柯彼能矩盧古磨(かひのくろこま)、矩羅枳制播(くらきせば)、伊能致志難磨志(いのちしなまし)、柯彼能倶盧古磨(かひのくろこま)、とありて、甲斐の黒駒の名由て来ること久し、地名の起る所以是なり、続日本紀に聖武帝天平三年十二月、甲斐国献神馬、黒身白髪尾、〈中略〉其獲馬人進位三階、免甲斐国今年庸及出馬郡庸調、其国司史生以上、並獲瑞人、賜物有差雲々、是も此牧の産にや、聖徳太子甲斐驪駒の事は、仏家の書に多く見ゆ、後の史録には穂坂、柏前、真衣野三牧あり、黒駒の牧の事は所見なしと雖も、今に藤木(とうのき)宿の枝村に駒木戸と雲処あり、即黒駒の関ある所なり、黒駒山の西へ続きたる小石和筋の諸村の古への牧場ならんか、大野寺の御朱印山の内にも牧馬の事お雲伝へたり、〈◯下略〉