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甲斐国志
四十七古蹟
北巨摩郡逸見筋 一柏崎(かしはざきの)牧〈樫山村〉 浅川村の北瑞籬(みつがき)山とて高さ数十丈の断崖あり、下に深沢川の急流お帯ぶ、其絶頂へ近き処に、古時の佐久郡河上路あり、舟窪と雲所に関門の跡存せり、後に今の路お開き、浅川に番所お移し、険路較易きお得たりと雲、村の東北船が川上に、柏前の牧と雲伝る処あり、野馬平、南牧よせ、北牧よせ、掛札など雲地名存せり、其北は信州川上と一嶺お隔たり、小念(こ子ん)とて念場原に相次たる広平の原あり、歴史に所載本州年貢御馬六十匹〈真衣野、柏前、両牧三十匹、穂坂三十匹、〉両牧以八月十七日為期牽進とあり、〈牧の事は別に記せり〉柏前の地後世詳ならず、山梨郡の柏尾に尾崎林など雲地名存し、岩崎山に相並び、黒駒山へも続き、牧馬の事お伝ふる言も多ければ、是ぞ柏前の牧ならん乎と雲旧説はあれども、此処は丙然たる古跡なり、小笠原の牧は穂坂の牧に属し、元来巨麻の郷ならんには、和歌に小笠原へみの御牧と詠めるは、一牧の名とは聞えがたし、六帖には、逸見の御牧と題にも置かれたり、小笠原逸見の二所お指すときは、逸見の牧は即柏前にて此処お雲ならん、美豆の御牧と引直されたるは、穂坂、小笠原、柏前の三所お雲なるべし、穂坂、小笠原にて貢馬三十匹、柏前、真衣野にて三十匹、毎牧十五匹にあたれり、今柏山と雲も柏の仮名にて埼と前とは訓お通じ、皆文字の換るのみ、本と樫山の尾埼と雲義なれば、柏尾は自然の同地名と聞えたり、此処は穂坂の山に連宣し、金峯の山脈絶ざる地なり、牧の駒に名ありしこと知ぬべし、今も馬児お畜して助産もの少からず、