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甲斐国志
三十八古蹟
山梨郡万力筋 一武河(たけかはの)牧 東鑑、建久五年三月十三日、甲斐国武河御牧駒八匹参著、被経御覧、可被進京都雲々、牧平村にて、漆河、赤芝川合して竹川と名く、即西保河なり、竹川橋と雲は、本と御普請所なり、石水寺の要害より切差(きりさす)お歴て、雁坂口への通路なり、金峯、御岳の方へも路あり、竹川監物の宅蹟〈竹川の事は士庶部に出せり〉是は警固お役せし士なりと雲、東鑑に武河と書たる故に、巨麻郡の武河(むかは)に混じたり、此処は高岳より流れ下る河なれば、猛烈の義にて、たけと訓ずべし、竹武二字ともに仮字なり、牧の荘の内一般の馬城(とりこめば)と見えたり、