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甲斐国志
四十七古蹟
北巨摩郡逸見筋 一小笠原長清館蹟〈小笠原村厚芝組〉 按に小笠原の牧は古歌に詠ずれども、延喜式、拾芥抄等、及歴代国史には穂坂、真衣野、柏前、三牧の外所見なし、東鑑、承元五年五月十九日、小笠原御牧牧士与奉行人三浦平六兵衛尉義村代官有喧嘩事、今日被経沙汰、〈◯中略〉早可改義村奉行之由被仰出、被仰佐原太郎兵衛尉雲雲とあり、古は小笠原の北上手(うへで)村〈小笠原の上方と雲義なり〉浅尾、神取、皆引続きたる原野なりし由、今茅け岳の麓入合場に馬城の遺形存せり、茅け岳、金が岳、江草山等に所牧は、本と穂坂同産の馬なれば、御取籠のありし場所に因りて其名お称し、庄の名に取りて穂坂の牧と総称せしならん、〈◯註略〉美豆の牧とは穂坂小笠原逸見三所お指して雲なるべし、逸見の牧は即柏前の牧ならんことは既に其条に記せり、又夫木集の註に、逸見の牧或は伊豆とあるは、彼州の西浦戸田(へだ)の山に今も散馬あり、古は牧場なりしと雲り、音近き故に混じ誤れるならん、彼はへだ(○○)なり、へみ(○○)には非ず、