[p.0981][p.0982]
総常日記
こヽは〈◯釜谷〉小金が原のうちにて、上野原の牧(○○○○○)といふ所也、其駒とりのさま大かたおいはんに、此野は上総下総にわたりて、横四十里におよぶとぞ、其野に十所ばかりもやわかちあらん、高さ一つえあまりの土道(どて)おつきて、一つかこみのうちお又三つにかこひわけて、かりそめの木戸おひらき、牧使三人〈正使一人副使二人〉綾藺笠おいたヾきて、狩そうぞくして馬にまたがり、おほくの野駒おのりまはしさそひたてヽ、木戸より入ておくのかこひにのりいれば、それにつれて野駒どもきそひいる、いくたびかかく追入て、牧使は土道のうへなるかりやに居て、駒の毛づけにやあらん、筆とりてしるしつけおり、さて五匹づヽ中のかこひへ入て、列卒ども大づなおめぐらし居て、駒お中にとりこめ、用にあたるべきおば、牧使それとさしおしふるお待て、かりこの中におさだちたるもの一二人、駒のくびに引かくべきわなお、竹杖につけもちて、おひまはし打かくれば、一人はたヾちにいだきつきておしたふす、また一人やがて口縄はませて引たつ、四五人そひて引たて、かこひより十町ばかり西に、かりそめの厩めく処有につなぐなり、いとあらき駒は、かくひかれゆく道にて、薮に横入するも有とぞ、かこみの中にあるほども、くびづなかヽらじとて、土道お越て逃出んとするお、土道の上にかりこどもおほくむれいて、しもとおもて追おろす也、かくて五匹がなかにえり残されたるにも、用にあたるべきが年わかく、又は来んとしには用にあたるべきなどは焼おしでして、のこるふえうの駒とともにつぎのかこひへはなちやるなり、焼印は国郡所々によりて印のかたちかはれり、〈◯中略〉五匹づヽかくすることあまた度にて事はてたり、其日はじめ追入たる駒の数六百余にて、用にあたり引たて行しは、百七十あまりなるべし、かく此大野十所がほどおめぐりてとることなれば、数のあまたなる事おもひやりぬべし、いといさましくめづらしきみものなり、〈◯下略〉