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袖中抄

のなかのしみづ〈おぼろの志みづ、せかいの志みづ、◯中略〉 又古歌雲 大原やおぼろのしみづよにすまば又もあひみんおもかはりすな 此歌お本にて、野中のしみづのやうに、おぼろのしみづと雲事も、もとあひたらんなからひなどによむべし、能宣朝臣が伊勢よりのぼりけるに、京にてたづねんと思女の、あふさかのせきにあひたりけるおたづねければ、おとこにつきてあづまへまかりければ、よみてつかはしたりける、 ゆく末の命もしらぬわかれぢはけふあふさかや限なるらん 女の返事に、おぼろのしみづと申せとなんいひける、これは大原やおぼろのしみづの歌の心おとりていへりけるにこそと、六条修理大夫の給ひきとぞ、左京兆申されし、但し考に能因歌枕雲、おぼろの清水は、山城国大原郷に有といへり、或人の申侍しは、江文のひんがしにあり、良暹が大原の山庄の辺雲々、後拾遺に良暹法師大原に籠居ぬと聞てつかはしける、 素意 みくさいしおぼろのしみづそこすみて心に月のかげはうかむや かへし 程へてや月もうかばん大原やおぼろのしみづすむ名ばかりそ 考、伊勢物語雲、むかしおとこ、女おぬすみて行道に、水ある所にておとこのまむとや思ふといふに、うなつけば、てにむすびてのます、さていてのぼりにけり、おとこはかなく成にければ、もとの所へかへりゆくに、かの水のみし所にて、 大原やせかいの水おむすびあげてあはやととひし人はいづらは 又神楽取物の中に杓歌 大原やせかいの水おひさごもてとるはなくともあそびてゆかむ これはいづこのほどにあるにか、大原におぼろのしみづ、せかいのしみづ(○○○○○○○)あるにこそ、然者おぼろのしみづは、大原にあれど、もとのめにもよせてよむべきにこそ、野中のしみづは、いなみ野にあれど、さやかによみたちぬれば、水題などにはいともよまず、おぼろのしみづはその心ならねど、みなよみ侍めり、