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長明無名抄
一ある人のいはく、逢坂の関のしみづといふは、走井とおなじ水ぞと、なべては人しれり、しかにはあらず、清水は別所に有、今は水もなければ、そことしれる人だになし、三井寺に円宝房の阿闍梨といふ老僧、たヾひとり其所おしれり、かヽれどさる事やしりたると尋る人もなし、我しヽて後はしる人もなくてやみぬべきことヽ、人に逢て語けるよし伝へきヽて、かのあざりしれる人の文おとりて、建暦のはじめのとし十月廿日あまりの比、三井寺へ行、あざりにたいめんしていひければ、かやうにふるきことおきかまほしくする人もかたく侍めるお、めづらしくなん、いかでかしるべつかまつらざらんとて、ともなひてゆく、関寺より西へ二三町ばかり行て、道より北のつらに少したちあがりたる所に、一丈ばかりなる石の塔有、そのたふの東へ三段ばかりくだりて、くぼなる所は、すなはちむかしのせきのしみづの跡なり、道よりも三段ばかりや入たらん、今は小家のしりへになりて、当時は水もなくて見どころもなけれど、昔のなごりおもかげにうかびて、いうになんおぼえ侍し、阿闍梨かたりていはく、この清水にむかひて、道より北に、うすひはだふきたる家ちかくまで侍けり、誰人のすみかとはしらねど、いかにもたヾ人の居所にはあらざりけるなめりとなんとぞかたり侍し、