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袖中抄

のなかのしみづ〈おぼろのしみづせかいのしみづ〉 いにしへの野なかのしみづぬるけれどもとの心おしる人ぞくむ 顕昭雲、野なかのし水とは、播磨の稲見野にあり、此歌にはぬるけれどヽよみたれど、件し水みたる人の申しは、めでたきし水也と雲々、 但考、能因歌枕雲、野中のし水とは、もとのめお雲といへり、今案雲、其故もなくもとのめおのなかのし水といふべきにあらず、あらましごとに、野中のし水はぬるく共、もとそのし水おしりたらむ人のくまんやうに、むかし心おつくし、いみじくおぼえし人のおとろへたらんおも、もとの有様しりたれば、なおむすぶよしおよめりけるお本として、もとのめおば、野中のし水とはいひならはしたるにこそ、 後撰歌雲 いにしへの野中のし水みるからにさしくむ物はなみだなりけり 又もとのめにかへりすむと聞て わがためはいとヾあさくや成ぬらん野中の清水ふかさまされば 拾遺集に、ふかく物いひける人に、元輔がつかはしける、 草がくれかれにし水はぬるくともむすびし身にはいまもかはらず 同集に、けさうする女の更に返事もせざりければ、実方中将、 わがためは玉井のしみづぬるけれどなおかきやらんとくもすむやと 此歌どもはみな、古今のいにしへの野中の清水ぬれけれどヽいふ歌お、ためしにてよめるなり、〈◯中略〉 和語抄には野中のし水は河内(○○○○○○○○)の国にも有(○○○○)といへり、 奥義抄雲、野中のしみづとは、此しみづの事やうありげに申人も侍れど、させる見えたる事もなし、この水は、はりまのいなみ野にある也、始はめでたき水にて有けるが、すえにはぬるく成て、人などもすさめぬお、むかし聞つたへたるものヽ、これにはめでたき水ありとこそきけとて、尋てみるに、あさましくきたなげになりてありけれども、これはめでたかりける水也、いかでか、のまで過なんとて、のまれける事およめるとぞ申める、それより本おしれる事にいひつたへたる也、いまはかたも侍らぬにや、是は人のかたりし事也、見たる心もなければ、たのみがたし、 私雲、まことにたしかに見えたる事もなし、此歌につきていへるにこそ、中にもかのし水いまはかたもなしとかヽれたる、いかヾなおめでたきし水にてこそ侍なれ、はりまのいなみのほど遠からねば、人みなしれる事也、さればあらましごとに、よめると思ふべし、 基俊が逢不逢恋歌に、 いにしへのしみづくみにとたづぬれば野中ふる道しほりだにせず これはたヾまたもえあはぬ心によせたるなり、しほりなどすべき事にはあらぬにこそ、