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怪異弁断
六地異
沸湯泉 則温泉なり 温泉は、和漢ともに多有之、皆地中に硫黄有の所、則温泉あり、博物志の説其理尽せり、驪山の泉湯は、神女の始皇の為に湯泉お出して、始皇の瘡お療ぜしむと雲り、日本有間の泉湯も、行基菩薩の神変力にて始て堀出せりと雲伝へたる類ひ、何れも妄説なり、有間の泉湯は、舒明天皇三年に、津国有間の温湯湧出す、則天皇有間に行幸あり、舒明帝は、人王三十五代、行基法師は人王四十五代聖武帝の時なり、大に時代前後相違す、況や日本紀には舒明帝三年九月朔、摂津国有間の温湯に幸す、十二月朔還幸ありし事而已有て、湯泉始て湧出の事は無之、如何さま舒明以前より温泉はありて、行幸の始は舒明なるべし、然ればいよ〳〵行基法師の堀出せると雲は妄説なり、行基は泉湯お修理再興の願主なんどにてありたるならん、有間の湯は炉水(ろすい/しほ)也、如何さま地下の水脈海中に貫通して、其気往来するならん、伝聞西戎国の海中に有一島、其地有疾病之人来住於此、則其疾愈、故諸邦有疾病之人多来雲々、是其水土薬石硫黄の性気厚きに由てならん歟、又奇怪なるものあり、左の如し、〈◯中略〉、 已上お按に、如斯の類、皆硫黄の所為なり、井底に硫黄有て、火気常に有り、井の中辺に湧泉の冷水有り、下に又漏出の穴有て、井底の沸湯おば漏し、中辺の冷水傍より湧出する事甚だ強く、井底の温水の上に、且漏れ且湧き加はる故に、井底に火気有と雲とも、上の水は冷なるもの也、竹樋お立て井底に至らしめ、上の口お釜臍に当て、炉水お釜に入れば、烘々として沸るものは、井底の火気、竹樋の虚中より直に上に升て、炉水の極陰と奮擊して滾沸するもの也、井底の火気は冷水に制せられて、伏鬱して上に達する事お不得、竹樋お得て上に達したる也、水中の火気未だ物に不付故に、其体お不見、水の冷寒の気に克せらるヽ故に、竹樋の中無焦焼ものなり、奇にして又奇に非ず、上に出す一統志四川の火井と、此に出す所のものと相似たり、上の地燃の処と交へ考べし、一統志の説の如きは、家火お投じて火絶すと、其是非お知がたし、此に言る如くなれば、火焰終に無ふして、火の精神のみありと見へたり、