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駒井日記

〈後九〉十一日〈◯文禄二年〉一太閤様、有馬御湯治為御見廻、従関白様熱海去六日之御書共到来、 一有馬御湯治御相応候哉、承度候而言上候、就中我々事、先書如申入、弥得快気之由宜申上候也、 閏九月六日、秀次御判、木下半介どのへ、一ありま御たうぢのよし、みまひとして申候べく候、さだめてゆもふさひ申候はんとおぼえさせおはしまし候、わが身もたうぢゆへ、このほどは、なお〳〵心よく候まヽ、めでたくやがてじやうらく申候て、くはしく申まいらせ候べく候、大かうの御かたへも文にて申候、なおかさねてめでたき御事ども申うけ給候べく候、此よし心え候て申べく候、かしく、九月六日(のちの)、ひで次、北政所殿上らうのかたへ、 一みまひとして、おほせつかはされ候御ひろひ、いよいよ御そくさいにおはしまし候や、てんがたうぢゆへ心よく候まヽ、きづかひあるまじく候、さては大かうの御かた、ありま御たうぢ、さだめてゆふさひ候はんと、おしはかりまいらせられ候、このよし心え候て申候やにて候、かしく、九月六日(のちの)、ひで次、大坂二丸殿つぼねかたへ、