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塩尻
四十三
後の文月初、〈六日〉御いとましばしなりて、勢州菰野山の温湯にまかりし、嶺の雲、谷の霧珍敷かの造化のおしめる景勝お、たやすく見侍るも嬉しく空おそろし、其程の事、旅亭の徒然に、凉窓灯下筆に任せ、後の紀念にもと援に記し侍る、 此温泉は、養老の比沙門浄薫、薬師善逝の霊告により神井お尋、神祠お建て、土地お起し、痾お療し、性お保する水源お開けり、川端神明、浄薫塚今に在り、 其后伝教大師、小谷の霊地に精舎お営し、冠峯山三岳寺と号し給へり、覚信僧都おして住せしめ、本尊瑠璃光如来は、大師自彫刻の尊像也、星移り物換り、温泉も空しく絶、古寺廃亡、〈慶長中炎焼〉然るに貞享四年丁卯、官に請、旧地新たにし、温泉再びむかしにかへれり、賢按、後世取立の温泉ゆへ、湯少しぬるきよし、